想ひ出ぽろぽろ ~SL(蒸気機関車)と本州への旅

 

先日若い看護師に、小樽にも昔SLが客車を引いて走っていた話をすると、全然知らないと言われました。

 

半世紀も前に遡っての話になります。

札幌22時頃発小樽経由のSL「急行ニセコ号」が走っており、私は仙台の学校へ4年間、春・夏・冬休みの帰省ごとに札幌と往復したものです。網走や稚内、釧路の学生も多くいました。試験で追試となれば、特に進級時の春休みは帰省できませんでした。

夜行のSLは箱型の硬い椅子で、時々煙のにおいがする列車でした。当時、C62型(動輪3)・D51型(動輪4)の鉄の塊のような機関車が客車を引いて走っていました。

また、小樽~倶知安間にある小沢・銀山間の峠は鉄道写真のメッカであり、特に冬場の白い峠を黒い機関車が、黒煙を吐き白い水蒸気を吐きながら登ってくる姿は圧巻でありました。

 

私が乗ったSLは外が明るくなってきた朝5時頃函館に到着し、すぐ連絡船に乗って青森に渡り、仙台には夕方に着いたことを思い出します。

当時連絡船は「海峡の女王」と呼ばれ親しまれており、昭和39年の東京オリンピック後新しく造船されたもので、津軽丸、十和田丸、八甲田丸等がありました。

 

連絡船といえば石川さゆりさんの「津軽海峡冬景色」。

歌詞の中で「北へ帰る人の群れは誰も無口で」と歌われておりますが、

全く歌のとおり、出稼ぎの人、また故郷へ帰る人などが、ただもくもくと船に乗船していきました。

また4月初めの小樽(日本海)は、曇り空で荒れていることが多く、「石狩挽歌」の世界そのものでした。

作詞家たちは実際にこれらの風景を見て書いたのではないかと思うほど、歌そのものの風景が広がっていました。

 

さて2030年頃には5時間余りで新幹線が札幌~東京間を走っているとは、半世紀前では考えられなかったことです。そのうち寝ている間に鹿児島駅に到着している時代が来るかもしれません。その頃にはSLのことを知っている人間はほぼいないのではと思います。

私は戦後の生まれですが、時間が短縮されると同時に、JR路線が廃止になって行くことも寂しい限りです。

 

取り留めのない話をしてしまいましたが、

最後に薬剤師らしい話をひとつだけさせてください。

診察を受ける際には必ずお薬手帳の持参をお願いします。

病気の診断だけでなく、医師がそのお薬を継続するか否かも早く判断できるので、バッグの底に是非入れておいていただけると助かります。

 

以上長くなりましたが、鉄の塊が北海道じゅうを走っていた時代に育った薬剤師の、懐かしい記憶の中の1ページです。



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薬剤師S